物事は流動的だ。
否定的な言い方をすると、常に同じではいられない。
だからといって自分が良くも悪くも変わったのだと言い聞かせ思い込むことは些か乱暴だ
簡単には変わることのできない自分の未熟さを正面から受け止めて認めることと、それは、同義ではない
開き直りだ 

人を羨むことは間違いではないし罪悪でもない。
妬みに形を変えて粗捜しを始め、悪い面を想定し安心感を得ようとする自分の小ささにあとから押し潰されるくらいなら
自分がその人の何を羨ましいと思うのか、何故羨ましいと思うのか、手に入れたいなら自分はこの先どう動けばいいのかだけを考えていたい。
自分が何かを怠って来た結果であることが分かっているなら、それをひとつひとつ受け止めて行くしか無い。
過去は今から変えられない。
過去があって自分が得て来られたものはあるはず。
自分ではよく見えていないところにも、その道を選択して来たその時々の状況や、言い訳とは違う理由があったはず。
何でもかんでも今という観点から判断してしまわないこと。 
あの頃のわたしは、どうしたかったのか。

なりたい自分の姿、持ちたい心の形を常に忘れず
意識し続ければいずれ無意識の中に溶け自分と1つになれる日が来る。
理想と相反する行動をしてしまったとしても、否定や拒絶をしないこと。
受け入れること。
省みること。 

***

忘れたい、忘れたくないの感情論や願望に関係なく
記憶は変化してしまう
あの時出会ったと思っていたものが、実はもっと昔からそばにあったものだということに気付くこともある。
 
美しく変わるものもあれば、時として醜く変質してしまうものもある
全てはその時その瞬間でしか息をすることが出来ない

その瞬間でしか生きられない美しい輝きと結晶がある
わたしが掴んでいられなかったものを、誰かが得たとしても
それがどれだけ尊く儚いものなのか、失ってしまったわたしは記憶の中で知っている。
失ってしまってからでは遅いのだけれど 
知ることができたその価値観を大切に抱こうと思えるようになったのだから
せめて穏やかに生きたいという希望は忘れませんように

あなたという人間がどんな選択をしてどんな人生を歩もうとそれがあなたなら
わたしはありのままのあなただけを受け止めて生きてゆきたい